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訪日観光ブームの要因に関する整理

はじめに

第1章 訪日観光の歴史的背景と推移
1.1 戦後日本における観光受け入れ政策の変遷
1.2 観光統計にみる訪日外国人数の推移
1.3 アジア太平洋地域における日本の観光位置づけ

第2章 訪日観光客の動機と選好傾向
2.1 食文化と買い物体験の魅力
2.2 自然・文化資源の評価とイメージ形成
2.3 アニメ・ゲームなどサブカルチャーの影響

第3章 政府・自治体の観光誘致政策
3.1 観光立国政策とインバウンド戦略の展開
3.2 ビザ緩和政策とLCCの活用促進
3.3 地方創生と観光資源の再構築

第4章 インフラとサービスの受け入れ体制整備
4.1 多言語対応とICTサービスの進展
4.2 交通インフラと地域周遊促進の工夫
4.3 宿泊業・小売業における対応変化

第5章 メディアと口コミによる観光需要の醸成
5.1 SNSと動画サイトによる情報拡散
5.2 ブロガー・インフルエンサーの影響力
5.3 観光レビューサイトと評価経済

第6章 訪日観光ブームの課題と今後の展望
6.1 観光公害と地域住民の反応
6.2 消費傾向の変化と観光支出の分布
6.3 ポストブーム時代の観光価値創出戦略

第7章 参考文献一覧


 


1.1 戦後日本における観光受け入れ政策の変遷

戦後日本における訪日観光政策の変遷は、単なる観光産業の拡充ではなく、経済復興・国際関係・文化発信といった複合的な国策の一環として展開されてきた。1950年代の占領期を経て、1956年に日本政府観光局(JNTO)が設立され、訪日観光の促進が本格化する。当初の目的は、日本の国際的なイメージ改善と外貨獲得にあり、観光客の数よりも文化交流や国際理解の促進が重視されていた。1964年の東京オリンピック開催を契機に、日本はインフラ整備を急速に進め、高速道路、鉄道、ホテルの整備が行われた。この時期は「迎える国」としての基本的枠組みが築かれた段階である。

1970年代から1980年代にかけては、高度経済成長により日本国内の観光消費が拡大した一方で、訪日外国人観光客数は横ばいに近かった。この背景には、円高や日本語の障壁、観光ビザの取得の難しさが存在していた。また、国際的には欧米中心の観光マーケットに注力していたことから、アジア圏との連携は限定的であった。この時代の訪日観光政策は、広域観光圏構想や国際会議の誘致などを通じてビジネス訪問者を対象とする色合いが濃く、観光消費の活性化よりも国際的なプレゼンスの向上が優先された。

転機は2003年の「ビジット・ジャパン・キャンペーン(VJC)」の開始である。小泉政権下で始まったこの政策は、観光立国推進を掲げ、訪日外国人観光客数の拡大を国家戦略の柱とした点で画期的であった。特にアジア近隣諸国へのプロモーションが強化され、韓国・中国・台湾・香港などをターゲットとした誘致戦略が展開された。2000年代後半からはLCC(格安航空会社)の就航、成田・関西空港の拡張、ビザ要件の緩和が進み、訪日旅行のハードルが大幅に下がった。

さらに、2008年の観光庁設立によって、省庁間の縦割りを超えた観光政策の統合が図られ、訪日観光産業の本格的な成長期へと突入する。2010年代にはインバウンド需要が急増し、政府は「2030年までに訪日外国人旅行者数6,000万人」の目標を掲げるなど、明確な数値目標とKPIの設定が行われた。観光はもはやサービス業の一分野に留まらず、地方創生、国際広報、通商政策の一翼を担う国家戦略として再定義された。

以上のように、戦後日本における訪日観光の政策的展開は、国際関係の変動、経済成長段階、社会インフラの成熟度、地域との連携という多層的要因と結びつきながら進行してきた。観光は時代によってその機能と意味を変化させつつも、常に国家の方向性を反映する象徴的な政策領域であり、訪日観光ブームの土壌はこのような長期的制度的蓄積の上に築かれている。


 


1.2 観光統計にみる訪日外国人数の推移


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